2020/07/07
四谷シモン氏の「ルネ・マグリットの男」を見て感じたこと

四谷シモン人形館 淡翁荘webページより抜粋
この作品はテレビ東京の「なんでも鑑定団」にて知ったのですが、まず初めに感じたのは「顔があるのか」ということです。この作品は1970年の大阪万博に展示されていたもので、四谷シモン氏は有数な人形作家として知られています。決して批判しているのではないですが、マグリットの作品は顔の部分を何らかの手段(語弊のある表現ですが)で顔の部分が隠されていたり、見えなくなっています。

例えばこんな感じです。シュール(シュールレアリズム)といえば、シュールです。

顔は「あなたたちのご想像にお任せします」状態なのです。そこに顔を入れてしまうとその「お任せします」状態が崩れてしまうのです。そういう意味で「あーっ」ていう気分になりました。

同じような「顔はあなたたちのご想像にお任せします」というシュールな作品といえば私は真っ先に高橋留美子氏の「めぞん一刻」の惣一郎さん(ワンちゃんじゃないほうです)を思い浮かべてしまいます。こちらは写真が破れているというシーンです。姪っ子の郁子ちゃんが破って見えなくなっています。

こちらは「管理人さん」の回想シーンです。鼻さきまでは見えますがそっから先は黒くなっています。ここも見せてしまってはタブーということなのでしょう。回想ということで「管理人さん」のように思い入れが強い方だったら顔のパーツは覚えていると思いますが、やはりそこはパンドラの箱。触れてはいけないのでょう。

最終話で初めて惣一郎さんの写真(顔)を見ている、五代裕作の様子。五代裕作がみている部分は描かれているが、視聴者側からは見ている様子しか描かれず、顔はわからない。「顔はあなたたちにお任せします」状態なのです。五代は「素敵な方ですね」といいますが、それ以外はわかりません。なので、その惣一郎さん像は「おまかせします」となるのです。そういう意味ではワンちゃんの方の惣一郎さんが、ある意味人格や人物像の穴埋めというとよくありませんが、顔がわからない部分をうまくカバーしているなあと(若干上から目線ですが)感じることがあります。あまり要素を足し過ぎてもいけないとも感じてます。
「めぞん一刻」の惣一郎さんの死因も明らかにされていませんが、読者の方々が色々と推察をされています。こちらも合わせてご覧ください。
http://pingshan.parfait.ne.jp/maison/laixinA.html
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